"推し"

堀未央奈」を推そうと決めたきっかけは何だったんだろう?とふと思ったので、乃木坂を知った時から今に至るまでの"軌跡"を振り返ってみました。

 

乃木坂っていうグループを知ったのは、多少曖昧な部分もあるけど「ぐるぐるカーテン」もしくは「おいでシャンプー」の頃だったと思います。当時は明治チョコレートのCM等で聞く機会もあり、なおかつ独特なタイトルが、一般人だった僕の心に深く傷跡を残しました。

 

スーパーGTの番組を見ていた影響で、そのままTVを付けておくと自然と乃木どこ?が始まるため比較的初期の頃から見てたなぁ...と感じています。

 

それから時が過ぎ8枚目シングル「気づいたら片想い」。ちょうど僕が中学三年生になった頃です。僕の中で"生田絵梨花"という子が他のメンバーと比べて3D現象のように浮かび上がってきました。乃木坂46が結成されてファンでも何でもない時代に見ていた時には可愛いな〜としか思わなかった子だったけど、もっと知りたい!もっと見てみたい!という感情を抱きました。これが乃木坂46のオタクになったきっかけです。

 

しかし、それもつかの間。9枚目シングルでは学業に専念するため彼女は休業という形を取ったのです。当時は彼女しか見ていなかったのでこの期間は一旦乃木坂46から離れました。思えばこの時期、かなりの単推しですね(笑)

 

 

無事に復帰を果たした彼女を待っていたのは10枚目シングル「何度目の青空か」のセンターポジション。彼女の乃木坂46へ復帰とともに、僕も再び乃木坂46というグループへ関心を寄せるようになりました。

 

前述が長くなってしまいましたが

 

ここで堀未央奈という人物に焦点を当ててみると...当時の推しであった生田絵梨花よりも先に何故いきなり入ってきた2期生の子がセンターをやるの?と虫が好かない部分もありました。逆を取れば、この頃から心の片隅には彼女の存在があったのだな、と。

 

そして星野みなみちゃんという人物を知ったこともあり、しだいに堀未央奈という人物に興味が湧いてきました。オタクには名の知れた「みなみおな」ですね。(笑)

 

12枚目シングルで彼女は選抜落ちをしました。乃木坂46の数少ないセンター経験者が選抜落ち。当時はとてつもない衝撃に駆られました。

彼女が選抜落ちした発表を受けて、アンダーのセンターに選ばれる事はある程度予想済みでした。

 

初のアンダーのセンターとして迎えたアンダーライブ4周年。千秋楽は1次で取ることが出来ず、倍率もかなり高かったようなので少し妥協して一日前を応募し無事当選して見てきました。なんといってもAiiA 2.5 Theater Tokyoのステージと客席の近さは格別ですね。(笑)あの距離感に心を奪われていたのも懐かしいです。

 

誰もが13枚目シングルで堀未央奈は選抜入りすると思っていたでしょう。あわよくば、福神まで上るのはではないか?などと言っていた人もいましたね。僕もそんな期待を寄せていた一人です。

 

結果は二作連続アンダー。今回は中元日芽香とダブルセンターでした。中々上手く行かないともがいていたところに"アンダーライブ武道館"の発表がありました。僕自身はとても嬉しかったです。これはチャンスだ!と。

 

アンダーライブ武道館は両日ともに平日だったため学校もあり行くことを断念。しかしモバメやブログで必死に座長として取り組んでいる彼女の姿を見ないわけにはいかない。と思い千秋楽の前日夜11時頃にチケットをゲットしました(笑)めちゃめちゃギリギリです。そして学校休みました(笑)

 

今回はLIVEについてのブログではないので武道館については割愛します。

 

 

この頃の彼女は必死に必死に、と結果が出なくても頑張ってました。極論言ってしまえば、今よりも100倍輝いていたと思います。今の状況考えてみると...アンダーをやっていた時とは違う、あの頃の生き生きとした"堀未央奈"がどこかへ行ってしまった気がします。

 

今回記述した事に対して、もちろん個人的な意見なので反対する方もいると思います。でも、これが今の僕の率直な感想です。誰かに指摘されてもきっと変わらないと思うし変える気もありません。

 

まだまだ書ける事はあるけど今回はここら辺で。

 

最後まで読んでくれた方本当にありがとうございます。